老いの前兆

あの頃の私と、今の私とでは、母という人の見方が全然違うと思う。

あの頃の私はまだ、母に殆どの事を話してしまっていたし、私は母という人の意見に、母の考え通りに、従って生きていたのだろう。

それは、母を尊敬してたからだ。結婚しても、子供が生まれてからも、母を頼り、意見を仰ぎ、判断を委ね、母がいいと思うことを良いと信じ、信頼もした。

そうして2年ほど家賃を払い続けた初めに母に勧められた借家から、今度は母が取り扱うこの、実家と同じマンション内の中古売りマンションを、勧められることになる。

当時は、結婚しても、私の実家が、ピアノを教える仕事の教室になっていたので、週のうち殆どの日、実家を訪れていた。

バスで焼山から往復するのや、買い物も大変なので、日産販売店に務める私の友達のお姉さんの世話で、私専用の軽自動車を程度の良い新古車で見つけてもらい、ノリオが買ってくれた。ノリオは住む家も、車も、私の為に、貯金をはたいた事になる。

そうして、2年もしないうちに、今度は実家と同じマンションを買って引越す事になったので、軽自動車は売り、実家から自分のグランドピアノを出し、ピアノ教室を自分の家に構えたまでは良かったが、直ぐに二人目を妊娠し、出来る仕事量は大幅に減った。

それから二年半して、東京に転勤、そして四年半後には結婚して初めての海外赴任で家族でアメリカに行く事になり、折角買ったマンションには、だったのに年半しか住めぬまま、それら9年の間、人に貸す事になる。その借り手をつけたり、家の管理をしたりを、東和に任せておけば良かったのは助かったが、母は、その管理費用として、母の生活が苦しくなってからは月に二万円を請求してくるようになったので、そこからの家賃収入は、ローンの支払い、管理費や固定資産税、維持費などで、僅かに残る程度であった。

そうして、結局シンシナティから呉のマンションにやっと帰ってきた時には、リフォームをして住んだが、今回又二度目のアメリカ行きで、このマンションに残された荷物は、母が嫁入りの時にもたせた大きなタンス三本と、ノリオに買わせたタンスと同じメーカーの食器棚、沢山の着物、それらの物達だった。

これらがなければ、つまり最初に社宅に住んでいれば、こんな大きなタンスは買わなかったろうし、食器棚も小さな物を選んで買っただろうと思うので、今頃ここは、借家として家賃を稼ぐことができていたかも知れないのだ。

或いは、ここを買っていなければ、ローンもなく、身軽に何処へでも動ける転勤族で入られたかも知れない。その分ノリオとあちこち旅行もできたかも知れない。

シャイアンに何年行く事になるかわからないが、

この度は、長女と次女を東京に残して行くので、義母が、ここを人に貸さないで、あの子達が呉に帰省しやすいよう、友達にも会いに帰りやすいようにしておいてやれ、と言うので、貸す事を踏みとどまったのだ。そうなれば、持って行かなくても何とかなるものは置いて行こうと言う事で、冷蔵庫も電子レンジや炊飯器、食卓やソファ、布団などはそのまま、この家にあるので、こうして私と朱里はここに帰ってこれた。

まさか、母が弱って、こうやって世話をしに帰ってくるとのために、ここをこんな風に生活ができるようにして行った訳ではなかったのだ。

それにしても、この家をここに買っていなければ、こんな風に、母と兄の様子を見に帰ってきて、滞在し、掃除をしたり、風呂に入れたり、散歩や買い物に連れ出したりすることはできなかったろう。

結局、母の計算通りなのか、母が頭で将来の自分を想像に描いた通りの、私が年老いた母の面倒をみやすい場所がここだった、という事になるかもしれない。

そして、そういう事だったのか、と、今頃になってその母の思惑に気づくだなんて、と思う。

不動産屋らしく、

途中、転勤になったら売りますか?貸すなら、管理してあげますよ。

と、簡単げに口で言う代わりに、親であるなら、高い金利で買った値段よりも、こんな中古マンションが高く売れるわけもなく、あなた方のように、転勤が多い人が家を買う必要はありませんよ、売っても貸してもそこまでの利益は出ませんからね。

ぐらいのまっとうな意見を、代わりに与える事も出来たろうに、、、と、不動産屋である親をうらめしくも思う。

私は夫に嫁いだのだ。

嫁いだからには母の言う通り、思う通りには、物事を進めるべきではない。母は、私やノリオにまでも私達の人生をやらせないつもりか?兄だけじゃなく?そして、父の人生を狂わせただけではなく?

それまでいつも、譲って譲って、母に良かれと思う私と、その原因となる母の気持ちに添ってきてくれていたノリオさえも、母がおかしい、と言う事に徐に気がつき、離れていく事になる。勿論、そうなっていったのは、子供を産み育て、親元を離れ転勤で培った常識ある目と、ある程度の成熟が、私の母の呪縛を解く事にもなったからだとも思う。

東京への転勤、そしてシンシナティから呉に帰ってきてからの母は、全く私が尊敬しうる人の姿には、映らなくなっていた。口から出る言葉、行い、私たちとの付き合い方、仕事のやり方、何か全てが、私をやりきれなくさせて、恥ずかしいと、思わずにはいられない。娘達に対しても、夫ノリオや、ノリオの両親に対しても、行いが自分勝手で、人に対しての思いやりがない。

執着しているのは、仕事であり、仕事というのは、収入、つまりお金であった。そこの部分はハッキリしている。

その他のことは、あまりに自分勝手というか、まるで分別を考えない子供のようだ。

ノリオは、お母さん、ボケていると言った。

だから、まともじゃないと。

こちらが腹を立てたり、傷ついたり悲しんだりするのは、お母さんをまともだと思うからだよ、お母さんは、ボケているって、僕は思うよ、と。

だけど、私は、そういうことにしようよ、しておこうよと私に言ってくれているノリオのやさしさであって、

本当は、最初から、結婚する前から、母はそんな風で、それを、何かで覆い隠せていたのが、老いという抗えない拘束により、覆い隠せなくなり、姿が露わになってしまっているだけのことだと、

長年母の娘をやってきた私は、悲しいかな、そんな母をみて思うのだった。

死期は、近づくにつれ徐にその人をありのままの姿に変えて行く。

豊かに、朗らかに、優しく、芳しく、穏やかな心で年をとって行く為には、本人がそこへ向かって、物質への欲から自分を解き放たなければならない。

物質やお金への執着は、長年の、母の想像し難いお金への苦労に所以する物であろうし、それはもう身に染み付いた物で、習慣性になっているので、可哀想な所も有るのだから、一概に、欲を捨てろとは言い切れない。それが有るからこそ、生きてこれた、やってこれた、踏ん張ってこれたのだ。

母は、どうしてこんなにも、苦労をしなくちゃならなかったのだろうか。

自分で大きな、重たい荷物を背負って歩いてこなければならなかったのだろう、と考える。